日本人は怠惰なだけではないのか?

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外国人に日本人のイメージを問うてみた、な話題で必ず出てくるであろうワード「まじめ・勤勉」。

それがマスメディアが国民に対しそう思われるような行動をしろとかいう策略だとかはこの際考えずに、日本人が本当に勤勉でまじめというイメージ通りの国民なのかについて私の周りだけからという極狭い条件下の中で考察された私の考えを記していこうと思う。

 

どこからついた「勤勉」というイメージ

日本人の勤勉でまじめというイメージがついた要因は2つあると思う。

1つは職人が多いというイメージ。

むかーしむかしから日本は技術の国という勝手なイメージがある。職人と呼べる人たちが誰しもが並々ならぬ時間と努力から常人では量れない技術を手にしている。漆塗り、ガラス細工、染物などその技術は今でも日本人である私からも世界に通用するであろうと感じさせ、その美しさからは伝統を重んじる荘厳さをもどこか感じる。日本の誇りとして世界に届けたいといった意見に国民の多くは受け入れるであろう。

 

2つめは異常とも呼べる過剰な接客サービスである。

日本では客が神様であるらしく、その対応は日本人の私から見てもやりすぎであるといったこともあるくらいである。諸外国のようなフラットさはそこには存在せず、召使いという存在だけがそこにはある。外国人はそこにテキパキとした動きが加わることでまじめで勤勉といった感覚を持つのだろう。

 

日本人から見た日本人の勤勉さ

外国人の目線からではなく、日本人の私から見ると勤勉さというものは怠慢という言葉にすり替わってしまう。

もちのロン、職人さんといった優れた技術を持つ人たちは勤勉と捉えれるかもしれない。しかしながらその他大勢の人物たちに勤勉さ、まじめさのカケラさえもが感じることができないというのが日本人の私から見た日本人の特徴である。

それは怠惰であり、傲慢であり、狡猾でありながら無関心。残念なことにこれらが日本人の内側から見た特徴であると考えている。

人の粗探しを楽しみ、他人を叩きながらもその本心は無関心。過剰なサービスからは客と店員の間に地位的な差を作り、満足がいかなければレビューサイトで酷評を飛ばす。

はっきりいって疲れないのか。人を貶めるというその行為は。私は疲れてしまった。こんな日常に。

 

怠惰は悪なのか

では怠惰・怠けることは悪なのかというとそれは全く別であり、私自身は部分的に推奨したい。

もちろんのことただの怠惰というのは人と社会をダメにし得るだろう。しかしこれが「ゆとり」といった言葉に変わるならばそれはとても素敵なことではなかろうか。

納期に追われ心身を削って会社に尽くす、些細なミスで客に過剰なまでの謝罪をする、たち続けて客がいないレジを過ごす、これにゆとりは存在するだろうか。いまの社会全体が、日本全体が許すだろうか。残念なことにこのことに一部の人しか賛成は得られずに大多数は首をかしげるだけだろう。深く意味を考えもせずに。

 

息苦しさしか感じ取ることのできない社会、褒めずに叩く社会、他人の不幸は蜜の味、そんな社会で私は生きていけない。社会に殺されてしまうから、自分の心を、体を。

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